仙台 |売る・呼ぶ・集う、人をつなぐ多彩なプロジェクト OFFICE HIRANO代表 平野真樹

    OFFICE HIRANO代表の平野真樹さん。今も被災地支援の活動を精力的にしている

    今回のプロジェクトは、「平野真樹」という人物そのものを紹介することから始めたいと思います。平野さんは現在36歳。10年間勤務した大手の外資系製薬会社を、2013年1月に正式に退社しました。理由は被災地支援のために立ち上げたOFFICE HIRANOの活動に専念するため。これから重要なのは被災の記憶を風化させないこと、そして支援の「継続」だと考えています。出身は千葉県木更津市、仙台に転勤して6年がたち、東北の人や風景の魅力にすっかりはまってしまった、そんな頃、東日本大震災が起きました。

    仙台で、仲間と出会い

    「営業という仕事が好きで、物を売るのは天職かと思うぐらい」と話す平野さんは、後輩からの人望も厚く、トップセールスとして上司からも一目置かれる存在でした。仙台の土地にも慣れ、会社のみならず、早朝の勉強会に出席したり、夜の酒場に熱心に通いながら着々と人脈を広げる充実の日々。魅力的な人々との出会いもたくさんあったそうです。そんななか、宮城県東松島市の牡蠣漁師・阿部年巳さんと知り合う機会がありました。それは震災が起こる半年ほど前のこと。年齢も同じ、偶然にも奥さんの生年月日まで同じというふたりは、たちまち意気投合。将来は、自分の牡蠣を出す店を持ちたいと夢を語る阿部さんに、平野さんは「かき八」というブランド名を考え、構想がどんどん膨らみました。

    応援したい人がいるから…そこから始まる復興支援

    震災後、平野さんは被害の大きかった沿岸部へ出かけ、泥のかき出しや炊き出しを行いました。訪れた被災地の様子は「チーム・仲間」と題し、フェイスブックで情報を発信し続けました。それを見た木更津の同級生をはじめ、何かをしたいと思っているたくさんの人たちが、物資集めや現地へボランティアにかけつけるなど、文字通り「仲間」として力を貸してくれました。誰もが被災地のために「自分のできること」を考えた時期だったかもしれません。

    その後、平野さんは、自分の仕事は「売ること」と考え、女川町の「小さな復興プロジェクト」が手掛ける「Onagawafish」や、Mi amas TOHOKUの「ボーダーこけし」など、志を同じくする人たちの復興支援グッズの販売に力を注ぎました。

    それと並行し、震災後、甚大な被害を受けながらも再び立ち上がる決意をした牡蠣漁師の阿部さんと、「かき八」を正式に商標登録して本格的に事業をスタート。前掛けにも染め抜いた、かっこいいロゴは木更津の書道の達人の同級生が書いてくれたもので、ネットでも評判になりました。昨シーズンは「かき八」のブランド名で復興した阿部さんの牡蠣を、全国に向けて出荷。復興イベントで、直接販売することもできました。ボランティアではなく、お金が回って経済が成り立つようにならなければ地域は再生しない、平野さんはそう考えています。

    “大好きな人たち、頑張る人たちを応援したい”その思いで始まったOFFICE HIRANOの取り組みは、イベントでの復興支援グッズの販売や、東松島の「かき八」、七ヶ浜の「星のり店」など、被災地の生産者による商品販売、体験ツアーの実施など多岐にわたっています。

    新しいプロジェクトもスタート

    今、平野さんが進めているプロジェクトは「m table.」。”みんなが集まる食卓”、という名前の食堂をオープンさせる予定です。ここでは粒よりの牡蠣をはじめ、被災地の生産者による自慢の食材を、趣向を凝らしたおいしい料理で提供します。店内では「onagawafish」をはじめ、東北愛にあふれた魅力の復興支援グッズも販売。希望するお客様には、生産者による講演会や食材を作る現場の見学ツアーも実施します。つまり、これまで行ってきた、売る、呼ぶ、集うの活動が「m table.」を拠点に展開することになるはずです。

    「被災地」を前面に出すのではなく、おいしい「食」や楽しい「出会い」を入口に、生産者や被災地の今に関心をもってくれる人が増えれば、息の長い復興支援ができるのではないか、それが平野流の「継続」の考え方。その明るい人柄と、ビジネスマンとしての実戦力で回りの力を巻き込みながら前進する平野真樹、始動間近のm table.プロジェクトをはじめ、今後の活動から目が離せません。

    2013年5月時点での情報です。

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