南三陸ホテル観洋のおもてなしの心

    志津川湾の港側から見た南三陸ホテル観洋。防波堤は崩れ、瓦礫が周囲に散乱していた

    東日本大震災から2か月が過ぎた5月13日、宮城県南三陸町の「南三陸ホテル観洋」を訪ねました。よく晴れたこの日、ホテルのロビーの窓には、青空を水面に映した志津川湾の絶景が広がっていました。

    3月11日14時46分

    「海が綺麗でしょ。震災前、この湾内にはカキやワカメなどの養殖棚がいっぱいあったんですよ。今はまったく残っていないですけど」。米倉支配人は海を見つめながら、寂しそうに言いました。リアス式海岸特有の切り立った山々に囲まれたコバルトブルーの海、そこにたくさんの養殖棚が浮かぶ様子は、この町のシンボリックな風景だったのです。それが、あの日を境に一変しました。

    3月11日14時46分、南三陸町を震度6強の地震が襲いました。直後にホテルの館内は停電。すぐに大津波警報が出されたこともあり、館内にいた全員を屋外へ避難誘導。普段の防災訓練の成果もあり、全員が避難するまで5分もかからなかったそうです。

    「お客様を避難誘導した後、しばらくして津波が来ました。大きな濁流が渦となって町を呑み込み、そこらじゅうに瓦礫や家屋が散乱していました。ただ呆然と見ることしかできませんでした」とフロント係の及川課長。目に入ってくる光景が、信じられなかったと話します。

    過酷な状況のなかでも笑顔を絶やさず

    停電と情報遮断、国道も寸断され、陸の孤島となってしまったホテルで、最初に立ち上がったのは女将の阿部憲子さんでした。調理場の冷蔵庫を確認し、残された食料で避難した宿泊客、住民約350人の1週間分の献立を考えます。
    「長期戦になる」。その覚悟がスタッフ全員に伝えられました。食事はお客様優先。その日、スタッフは暗がりの中見つかった笹かまを1枚ずつ分けあいました。

    「震災から3日後、お客様を避難所へ送り出した後にわかったのですが、身内を亡くした、家が流された、車が流されたというスタッフが大勢いました」。過酷な状況のなか、笑顔で精一杯のサービスに努めたスタッフの「おもてなし」のプロ魂に、多くの宿泊客が胸を打たれました。

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