伝えたかったのは“ありがとう”の言葉。「ありがとう りくぜんたかたプロジェクト」

    東京と陸前高田を頻繁に往復しながら「ありがとう りくぜんたかたプロジェクト」を続ける、代表の大内裕史さん

    悲惨な大津波を経験したあと、被災地の多くの人たちが世界に向かって伝えたかったこと、それは悲嘆や苦悩ではなく、“ありがとう”の言葉でした。今回ご紹介するのは、「ありがとうを力にして、未来へ向かって歩き出す」。そんな思いが込められたプロジェクトです。

    支援してくれた世界中の人たちに感謝の気持ちを伝えたい

    大内裕史さんは都内在住。東京、仙台、ヨーロッパに拠点を置くビジュアルアートスタジオ・WOWで活躍するアートディレクターです。家族は奥さんと娘さん。子育てはのびのびした自然豊かな環境で、と考え、妻子2人は奥さんの出身地である岩手県陸前高田市に住み、大内さんは仕事場のある東京で、いわば単身赴任の状態で暮らしていました。

    そして2011年3月11日、あの未曾有の大震災が起こったのです。地震直後に届いた「大津波警報が出た」のメールを最後に、大内さんと家族は連絡がとれなくなりました。テレビでは壊滅的な被害を受けた陸前高田市の映像が報道されています。最悪の事態を覚悟しながら安否情報を探し続ける日々が続きました。

    家は流されてしまったのものの、幸い奥さんと娘さんは2人とも無事でした。大内さん家族が実際に再会できたのは、震災から3週間も経った後のこと。陸前高田市に入ると、昔から白砂青松と謳われた美しい浜辺はみるかげもなく、その数7万本と言われた見事な松林は、たった1本、奇跡の松を残すのみでした。
    親戚も知人も、多くの命が失われました。平穏な日々が突然に消えてしまう、そんな受け入れがたい現実を前に、深い悲しみと無力感を抱きながら、被災地の人々は1日1日を懸命に生きていました。

    震災から5か月ほどが過ぎたころ、家族や親戚たちが「支援してくれた世界中の人たちに感謝の気持ちを伝えることはできないだろうか」と、その思いを口にしました。悲しみで張り裂けそうだった心が、助けてくれた人たちのことを考えると感謝でいっぱいになった、その“ありがとう”を伝えることが、偶然にも生き残った自分たちにできることではないだろうか、というのです。大内さんは奥さんといっしょに、「今、自分たちにできるのはどんなことだろう」と考えました。

    「まつぼっくりちゃん」が感謝の心を発信

    最初に手がけたのは、陸前高田市の子育て支援施設のロゴデザインやパンフレット作成でした。大内さんのプロフェッショナルな仕事で、明るく楽しげで、やわらかい、そんな素敵なロゴができあがりました。他にも地元の医院や企業を、ロゴや名刺のデザインで支援しています。

    「デザイン」には、人を楽しくさせたり、元気にしたり、さまざまな感覚を呼び覚ます、大きな力があるようです。そのデザインの力を駆使して生み出されたのが「まつぼっくりちゃん」というかわいらしいキャラクター。原案は家族で考え、発芽した高田松原のまつぼっくりと、未来をになう子どもたちを重ねてイメージが生まれました。念頭においたのは、子どもたちに愛され、10年、20年と長く記憶されるキャラクターを生み出すこと。それは、災害の記憶を風化させないことにつながるからです。

    こうして生まれた「まつぼっくりちゃん」を中心に、「ありがとうりくぜんたかたプロジェクト」が展開しています。チャリティポストカードは、国内ばかりでなく海外のアーティストもまつぼっくりちゃんとの素敵なコラボ作品を画いて協力してくれています。そのクオリティの高さも特筆に値します。ほかにもミニタオルやステッカー、マグネット、さらに地元企業とコラボしたお茶の缶など、支援のためのさまざまなグッズを開発、販売中。グッズの収益は、プロジェクトの運営費の他、一部を陸前高田の子どもたちのために活動する団体などへ寄付・寄贈しています。

    なかでも映像作家としての大内さんの本領が発揮されているのが、まつぼっくりちゃんを主役にした90秒のアニメーションです。



    現在から未来へむかう美しい映像が、見るものの心を深く打ちます。この映像は、友人の協力で8か国語(英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語、中国語、韓国語)の字幕がつき、動画サイトYouTubeにアップされています。

    “ありがとう”を力にして立ち上がるまつぼっくりちゃんの姿は、世界中に向けてまっすぐに、被災地からの感謝のこころを発信し続けています。

    ※2013年7月時点での情報です。

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