命の砦となった石巻赤十字病院

    東日本大震災の大津波は、宮城県石巻周辺のほとんどの医療機関を壊滅的な状況に追い込みました。診療不能に陥ったこの地域の医療を支えたのが、震災の被害を免れた石巻赤十字病院です。

    地震発生から4分後に災害対策本部を立ち上げ

    発災直後、日頃から防災訓練を積んでいた石巻赤十字病院職員は、自身・患者の安全確保を最優先にしながら、落ち着いた行動をとりました。そして地震発生からわずか4分後には災害対策本部を立ちあげていたのです。

    「上空から見ると、流れの上に人が浮いているんです。助けられないし、手を出せない…」。そう話したのは、震災から7時間後に病院にやってきた自衛隊員でした。津波で冠水してしまった石巻市街では、想像を絶する事態が起こっていたのです。その混乱は、やがて石巻赤十字病院にも波及します。時間が経つにつれ、重篤な患者が次々と搬送されてきました。

    当初、医師たちは、建物の倒壊などによるクラッシュ症候群の患者が来ることを予測していました。しかし来院した患者のほとんどは、全身ずぶ濡れになった低体温症患者でした。津波にのまれ、海底のヘドロや重軽油などを含んだ水が肺に入るために起きる、津波肺の患者も運ばれてきました。それでもまだ、病院に運ばれてきた患者は幸運だったのかもしれません。石巻管内の救急車17台のうち12台が津波で流されたり、動けない状況になっていました。助けたくても助けられない、それが石巻の現実だったのです。

    そうした状況の中、石巻赤十字病院は、宮城県災害医療コーディネーターである石井正医療事業社会部長を中心に、全スタッフがこの難局の打開にあたりました。多くの職員が家族の安否がわからぬまま、不眠不休で働き続けました。全国各地からたくさんの医療チームも応援にやってきてくれました。石井正部長言うところの「オールジャパン」の活動が開始され、難題がひとつひとつ解決されていきます。とはいえ、院内の食料・水不足、避難所の感染症患者多発など、院内、院外に想定外の事態が次々と起こります。

    石巻赤十字病院が通常の外来を再開できたのは4月11日。発災から実に32日が経っていました。そして、この頃から、ようやく商店の再開、カキの再起など、石巻にも明るいニュースが少しずつ届けられるようになって来ます。

    2011年10月時点での情報です。

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