希望の松、奇跡の一本松

    名勝「高田松原」では黒松のほとんどがなぎ倒されたが、奇跡的に1本の黒松が残った

    2011年4月15日、弊社の3回目の救援物資輸送で南三陸町、陸前高田市を訪ねました。場所によってはいまだ、地震と津波に襲われた跡をそのまま残す地域もありました。

    南三陸町、陸前高田市へ

    震災前の南三陸町には、東を太平洋、それ以外の三方を山に囲まれ、海と森が織りなす美しい景観がありました。しかし、街に入るとまず見えてきたのは、中心部に広がる瓦礫の山と破壊された港湾施設です。

    野焼きにされた瓦礫の煙と粉塵が充満する中、壊れた街を見ながら立ちつくす初老の男性がいました。

    「なにがあったか、なぁんもわがんねな…」ぽつりとひと言つぶやき、瓦礫から視線をそらし、海へと向けました。聞けば漁業関係の仕事をしており、津波が襲って来た時の光景が今も忘れられないそうです。「おれの家は高台だから、地震の後もずっとそこにいたんだ。うちは大丈夫だったんだけど…家の屋根に逃げた人が助けを叫びながら波にのまれていくさま、濁流にのまれるさま、そんなのばっかりだった。助けたくても助けられねぇし。ほんとひどかったよ」。南三陸町の人口は約1万7600人。4月27日の時点で約7000人が避難所で暮らし、死者は496名・不明者数656人と発表されています。

    陸前高田市では主要な橋が全て流され、市街地へ行くには道路を大きく迂回します。途中にある高台から一望した街の姿に、言葉が出ませんでした。あらゆる建造物が波にのみこまれ、なくなっていたのです。民家も橋も松林も、何もかもが瓦礫と化していました。陸前高田の市街地は高低差のほとんどない平野部のため、その被害も甚大だったのでしょう。震災前、海岸には江戸時代から大切に育てられた約7万本もの黒松が植えられた「高田松原」という名勝地が広がっていましたが、今は見る影もありません。その中、ただ1本だけ残った松があります。市民はその松を「希望の松」、「奇跡の松」と呼び、復興の象徴として希望を託しています。帰り際、瓦礫の中に提灯を見つけました。それは、陸前高田市で毎年8月に開かれる男衆の勇壮な祭り「けんか七夕」の提灯でした。その横に立てられたベニヤ板には「津波に負げんな! けんか七夕魂」と力強く書かれています。夏ともなれば陸前高田市には多くの海水浴客が訪れ、祭りに興じ、おいしいウニが食べられたものです。

    一日も早く元の姿に戻れますように。七夕の提灯を見ながら切に願わずにはいられませんでした。

    2011年4月時点での情報です。

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