福島 |ふくしまに新しい文化を。NPO法人ふくしま新文化創造委員会

    理事長の佐藤健太さん

    “福島に思い切り明るい文化を築きたい”
    そんな思いを胸に、福島で活動する男性がいます。NPO法人ふくしま新文化創造委員会の理事長、佐藤健太さん(34歳)です。2011年の震災後、複数の団体の設立や国内外での公演、イベントの開催など、多彩な活動を続けてきた佐藤さん。目指しているのは、誰もが地域を誇りに思う新しい福島です。

    今自分にできることを

    福島県飯舘村出身の佐藤さん。震災前は同村で消波ブロックの型枠メンテナンスの仕事をしていました。

    2011年3月11日の東日本大震災、そして、福島第一原発事故後、村の現状に危機感を感じた佐藤さんは、住民を早急に避難させるため自分にできることをと、メディアやWeb、SNSで情報を発信。福島市へ避難したあとも、国内外と福島とをつなぐ役割として情報発信を継続しながら、村民の健康や生活を長期的に見守る「健康生活手帳」の作成・発刊や、コミュニティを維持するための電話帳作り、震災に関連する支援団体の設立など、多岐にわたる活動を続けてきました。

    様々な活動を行なうなか、2013年に「NPO法人ふくしま新文化創造委員会」を設立。活動の柱を、エンターテイメント集団「ロメオパラディッソ」の企画・運営、震災復興祈念館の設立、音楽イベント・ロックコープスの運営の3つに定めました。

    なかでも注目を浴びたのが、法人の立ち上げと同時に動き出したエンターテイメント集団「ロメオパラディッソ」の活躍です。これまでの活動とは大きくジャンルが異なるように感じるこちらの取り組み。立ち上げのきっかけは、「思い切り明るいものを未来に残したい」という思いでした。  

    100年続く文化を福島に

    震災後、福島に取り巻いた「放射能」や「被災地」といったワード。「自分たちが次の世代に残すのはマイナスのイメージだけでいいのだろうか」と疑問に感じたのだといいます。

    どんなに街がきれいになっても、そこに魅力がなければ人は集まりません。子どもたちに夢や希望に満ちた福島を残したい。5人の仲間と話し合い、試行錯誤を重ねるなかでたどり着いたのは、福島に新しい文化をつくることでした。イメージしたのは、宝塚歌劇団。「多くの人に知られ100年も続く宝塚歌劇団にも1年目はありました。その1年目を自分たちが踏み出そうと、5人の想いが合致したんです」と佐藤さん。

    やるならとびきり明るい文化を、また、子どもたちが憧れるかっこいい男の背中を見せようと、歌や演劇、ダンス、楽器などを織り交ぜた男性だけのエンターテイメント集団の立ち上げを決意。名前は「Local(地域)Mens(男性)Organization(団体)の頭文字をとった「ロメオ」と、イタリア語で楽園を意味する「Paradiso」を合わせ、「ロメオパラディッソ」に。“福島を元気にするために集う男たちの集団”という意味を込めました。脚本・演出は、東北で活動している劇作家の大信ペリカンさんに依頼。同年11月の旗揚げ公演を目指し、佐藤さんたちは動き出しました。

    キャストが揃ったのは8月下旬。福島在住者を中心に集まった男性33名のうち、舞台経験者は2人のみ。ほとんどのキャストが初心者です。練習はそれぞれ仕事を終えてからの開始。大道具などもすべて男性たちの手作り。「素人だけでは無理なのでは?」そんな声もあったといいます。それでも、「未来に明るい文化を残したい」という一心で練習を続け迎えた旗揚げ公演では、昼夜2回の公演で1450名を動員。2万年後の未来を舞台に、歌やダンスを盛り込んだ迫力ある演劇は、多くの観客を魅了しました。

    なにかが崩れたときだからこそなにかを興したい

    旗揚げ公演から毎年1回公演を開催。ロメオになりたいと、3回目には小学生のキャストも加わりました。「なにかが崩れたときだからこそなにかを興したい。この気持ちが復興の第一歩だと思うんです」と、微笑む佐藤さん。公演以外にも、福島に訪れた人同士の輪をつなぎたいとオープンしたバー「つどうつながるLOMEO場AR」の運営や、地域イベントでのパフォーマンスなど、活躍の幅を広めるロメオたち。最近では、小学校の課外授業としてダンスの指導を行なうなど、佐藤さんたちが蒔いた文化の種は着実に育ち始めています。

    2016年はもう一度基礎に振り返ろうと、現時点で公演の予定はないのだそうですが、ロメオに会ってみたい!話したい!という方は、ぜひLOMEO場ARに立ち寄ってみてください。

    福島の今を伝え続ける

    現在ふくしま新文化創造委員会では、2020年に開催される東京五輪に合わせ、福島市に震災復興祈念館を建設しようと計画を進めています。原発事故の影響で被災した地域は立ち入り制限があることなどから、福島には震災遺構がほとんどありません。そうしたなか、福島県の人々が震災からどう立ち上がり、何を学んだのかを発信する場、復興していく福島の姿を見続ける場を作りたいのだと佐藤さんは話します。

    「震災後の福島の良い・悪い面の両方を見せるべきだと思うんです。片方の車輪しかなかったらいくら動いてもその場でくるくる回るだけですよね。2つ車輪があれば、どんな方向に曲がっても前に進める。震災によって環境への不安や地域コミュニティが崩れてしまうなどのマイナス面もありました。しかしその一方で、楽しいこともたくさん生まれました。震災復興祈念館はその両輪を知る場所になることを目指しています」。

    福島をより魅力的な街へと変化させている佐藤さんたちの活動。被災地としてだけではない、夢や希望の詰まった新たな福島に注目が集まる日が、すぐそばまで近づいているように感じました。

    2016年3月時点での情報です。

    2016年3月

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